同人音楽の感想みたいなレビューみたいなものを書いてます

[感想] Isucaの嘴 / さかばと

Isucaの嘴
(2011/12)
さかばと

公式サイト

通天さんのアレンジって、「音そのものが幻想郷」ってイメージがあります。
和洋折衷の音使いながら、一貫してどこか雅な雰囲気が漂っていて、幻想郷の風景とか
そういうものがすごく鮮明に思い浮かぶ。で、最近のさかばとアルバムが面白いのは、
そうした幻想郷らしい音の中に、「誰かの視点」を加えたアレンジになっている点。
スカーレット姉妹をテーマに、と描かれていますが、正確には今作のコンセプトは
「フランドールが見たレミリアの姿(あるいは幻想郷の姿)」だと思います。
最後の「アイオライト」がEXトラック扱いになっているのはそのためでしょう。


◆ 幻想郷への憧憬
今作は、いつもの通天サウンドと比べてかなりロック色や疾走感が強めになっています。
この「いつもとの違い」が「フランドールの視点」というファクターになるのです。
フランドールは普段、地下室に幽閉されていて外に出ることができません。
いっぽうレミリアは原作内でも色々な作品に登場して幻想郷を暴れまわっている。
そんな彼女を見つめるフランドール、そこに宿る心情を想像すると、やっぱり「憧憬」
なのかなあ、と思います。外の世界への憧れが、レミリアへの憧れが疾走感となって
「幻想郷らしい」通天サウンドへと還元される。
さらに加えるならば、フランドールのこの「憧憬」の目線は、今作を聴く者の目線でも
あります。私とて彼女と同じ。幻想郷を想像し、そこに生きる者達を想像することしか
できないのですから。この音から感じられる心情とか、風景とかはそのまま彼女が
見ているもの、感じているものとして共有することができるのかもしれません。


◆ アイオライトは何色か
EXトラックのタイトルである「アイオライト」は多色性を持つ宝石です。
光にかざして色々な方向から眺めてみると、青や緑や黄色など様々な色に変化して
見えるそうです。で、当然ながらオーエンのアレンジであるこの曲は、
これまでの視点人物であったフランドール自身のことを表す楽曲です。
レッドラブラドライトという「光」にかざされたアイオライトは果たして
どんな色に見えるでしょうか。フランドールがレミリアのことをどう思っているかは、
たぶん人によってかなり解釈に差があるでしょう。敬愛か、憧憬か、羨望か、
嫉妬か、侮蔑か。確か公式でもこのへんは二転三転してたように思うし、
おそらくこれに正解はない。けれど、「アイオライト」を聴いてみると、
おどろおどろしい雰囲気のイントロに始まり、ハードなロックサウンド、
そして穏やかなピアノサウンドへと変わっていく。ここのパートに私はやっぱり
敬愛とか、憧憬とか、そういう感情を見てしまうなあ。


『Isucaの嘴』とはことわざで「物事が食い違うこと」ですが、
これはイスカという鳥のくちばしが左右食い違った奇妙な形をしているからだそうです。
けれど左右のくちばしはいつも隣同士にあって、イスカはこのくちばしを器用に使って
えさをついばんで生きています。
うん、やっぱりきょうだいは仲良しが一番ですよね!
[ 2012/05/15 00:09 ] 東方アレンジ さかばと | TB(0) | CM(0)

[考察・感想] 遙 / 凋叶棕 Part.2


(2011/08)
凋叶棕

公式サイト


更新が遅くなりましたが、Part.1の続きです。
前回は「devastator」までの曲にざっと触れ、時の流れが幻想郷を
荒廃させるさまを見ていきました。今回は「うつろわざるもの」を中心に
作品の主題について考えていきましょう。
凋叶棕は、何故かような「荒廃の未来」を描く必要があったのか?
ずいぶん書くのに時間がかかりましたが、これが決定稿。私なりの答えです。



◆「うつろいゆくもの」比那名居天子

言うまでもないことですが、「うつろわざるもの」の主人公(視点人物)は
比那名居天子です。ブックレットにも天子の絵が描かれているし、原曲の有頂天変や
幼心地の緋想天はまさしく天子のテーマと言うべきものです。
これまでの楽曲に照らしてみても、この曲が「天子の物語」であるということは、
なるほど疑いないように見えます。

しかし、この曲中における「私(=天子)」なる人物は、他のキャラクターにはない
ある特権が与えられています。それは、観測者の立場です。
「星はきっとまた〜」あたりの歌詞を見れば分かるとおり、彼女はそれまでの
『遙』の世界を観測してきています。ただし前回触れたとおり『遙』の世界には
全てを移ろわせ荒廃させる、巨大な「時の流れ」というファクターがあります。
にも関わらず、この「私」はそれまでの物語を均等に見渡していて、しかも本人は
まるでその影響を受けていない。彼女は『遙』の世界において、ひとり特権的な、
観測者として独立したキャラクターになっているわけですね。
しかし、ではなぜ比那名居天子にこのような役割が当てられているのでしょう。
原作の設定において、天子がこのような超越者になる要素があったでしょうか?
というより、そもそも「私」とは本当に「比那名居天子」なのでしょうか?

「私」を比那名居天子とする根拠は先ほど述べたとおり、絵と原曲です。
ところがこの「私」が比那名居天子であるとは、実際にはどこにも書かれていません。
聴き手が、絵と原曲を見て勝手に判断しているに過ぎません。なぜそう判断できるのか?
それはこの作品が「二次創作」だからですよ。二次創作だと分かっているからこそ、
青く長い髪で桃のついた帽子を被っている少女を見れば「天子だ」と判断し、
有頂天変のメロディが流れてくれば「天子の曲だ」と判断する。
ただそれだけのことで「私」=比那名居天子と判断してしまう。
そして『遙』という作品はそういう思い込みを逆手に取っているんです。
それを端的に示しているのがここの歌詞。

遙かな 見上げる天空に 私であったものを捧ぐ

ブックレットの絵のなかで、彼女は帽子を空へ飛ばしています。
天子にとって帽子というのは、彼女を「天子だ」と判断させることのできる
識別コードのようなものです。桃のついたああいう帽子を被ってるキャラなんて
たぶん比那名居天子くらいしかいないでしょう。
彼女はそれを天空に向かって捧げています。「私であったもの」と称して。
言い換えれば、彼女は自身の「比那名居天子」を構成するパーツを過去のものとして
切り離している。では、切り離した後に残る「私」は一体何者なんでしょう?
まあ、捧げるものが帽子だけなら、服装とか髪の色とか緋想の剣とかで
彼女を天子と判断することはできます。でも、仮にそれらもどんどん捧げていったら
どうなるでしょう。緋想の剣を手放したら?服装が変わったら?
髪が短くなったら?髪の色が赤くなったら?
私たちはどこまで彼女を「比那名居天子」と認識できるでしょうか。
どこまで変われば彼女は「比那名居天子」でなくなるのでしょうか。
この曲の「私」もまた極限なんです。比那名居天子の、なれの果て。
うつろいゆく『遙』の世界を観測してきた彼女自身もまた、うつろいゆくもの。

でもね、実際には彼女はどこまで変異しても比那名居天子でなくなることは
ないんですよ。なぜならば、この世界には「うつろわざるもの」があるから。
「うつろわざるもの」とは平たく言ってしまえば原作のことです。
原作の存在が、<これは二次創作である>という宣言が、彼女を天子たらしめている。
「うつろいゆくもの」たちは、いつだって「うつろわざるもの」の庇護のもとにある。

最後に遺った、変わらない全ての根源こそが。
この目の前に、美しくも残酷に。


二次創作の果て、その先に残ったものは原作でした、と。なるほど美しい帰結です。
しかし同時に、これほど残酷なものはないと描いているのがこの作品のミソ。
「うつろわざるもの」で彼女が立っている地は、きっといちばん天に近い場所だけど、
だからといって決して天に辿り着くことはできません。
しょせんは二次創作なんですよ。



◆『遙』が求める決断と、「私」が下した結論

さて、ここまで長々と勿体つけて書きましたが、要約すればこの作品は二次創作が
原作に従属している、というだけの話であり、内容自体は当たり前のことなんですよ。
大事なのは、この先のこと。この内容を受けて、どう考えるかです。

為しえることがもう、それ以上ないなら、
きっとそれは完結なのではないか?


『遙』が描く幻想郷の「果て」の姿は、すなわち二次創作の「果て」の姿でもあります。
地上で何が起ころうと、天空は変わらず存在し続ける。
どんな二次創作を作ろうと、その上には必ず原作がある。
やり尽くせば、あとは枯れるのみ。不毛なんですよ。
東方アレンジが始まって10年くらい経った今。この「原則」は次第に重みを増してくるでしょう。
しかし凋叶棕はあえて「この先には荒廃しかないよ」「最後には原作しか残らないよ」と
喉元に刃を突きつけます。もちろんその刃は、彼ら自身にも向いた諸刃の剣。
シミュレートされた「終わり」の形を巡ってきた「私」は、
このまま自身もシミュレートに従って滅ぶのか?やはり最後には<風景>しか残らない?
この終末のカタチを受け入れるのか、それとも抗うのか。
『遙』という作品が求めるもの、それは決断。
そして「うつろわざるもの」の最後で「私」はこう答えを出しています。

遙かな
変わらぬものを
うつろわざるものを抱いて
全てを
受け入れながら 私は此処に居る


「うつろわざるもの」を抱き、全てを受け入れる。
「私」はこの終末のカタチを受け入れ、物語は幕を閉じます。
最後に残ったものは「うつろわざるもの」だけでした。めでたしめでたし・・・?

いやね、ちょっと待ってほしい。
この作品の終わりはね、「うつろわざるもの」だけじゃないんですよ。続きがまだある。
CDは円盤。この作品の結末は、1周ループして辿り着く場所・・・「ささぐうた」にあるんです。
「うつろわざるもの」を経た上で、「私」の決断を理解した上で、あえてもう一度問いましょう。

さて、これはいったい誰に対しての「ささぐうた」だったのでしょうか?


いつの日か 翔けろよ天を


そう、この物語を最後まで見届けた者ならば、「天」という言葉が指すものが
とても重い意味に変わっているはず。天。見上げるだけで決して到達できないあの天空。
小町さんはそれでもそこを翔けろと仰るんですよ。無茶言いやがる!
でもね、私はこういうのは嫌いじゃない。
『遙』が導く「果て」、その先にあるものは、終末でも絶望でも諦観でもありません。
抗いですよ。二次創作への賛歌ですよ。



◆ そして、これから

私はね、二次創作が大好きなんですよ。
原作に対する愛全開ではしゃぎまくっている作品が大好きだし、
制作者の思惑丸出しで原作を好き勝手弄くり回して自分語りしてる作品も大好きだし、
性欲のはけ口に愛らしいキャラクターを陵辱しまくってる作品だって大好きです。
何より、誰も予想しないところから世界が無尽蔵に膨れ上がっていくあの感じが
大好きなんです。東方の二次創作がこんなに続くなんて、一体誰が予測できたでしょう。
東方アレンジだってそう。「アレンジ」の枠に囚われない、自由な発想の作品が
ここ2年くらいの間でどんどん出てきています。原曲を一切使わない完全な
イメージアルバムとかね。凋叶棕だってハッキリ言ってかなりのキワモノですよ。
歌メロに原曲ほとんど出てこないし、黎明期あたりにこのサークルがあったとしても
こんなに人気は出なかったと思います。凋叶棕がここまで人気が出たのは、もちろん
作者やアイデアのセンスが優れていたのもあるだろうけど、リスナーがアレンジ作品に
慣れていた(あるいは飽きていた)ことも大きかったと思うんです。
偉そうな言い方になりますけど、作り手も聴き手も、たしかに成長していると
ここ最近感じてるんですよね。この界隈は、まだまだ停滞するには早い。
だから、この『遙』って作品は、そうやって続いてきた東方アレンジの結晶というか、
ひとつの到達点、って印象がありましてね。二次創作とは何か、ということを
あらためて考えさせてもらうきっかけになりましてね。
そういう私自身の色々な思いもあって、この作品は私にとっての特別なんです。
一番なんです。これはね、東方アレンジに対する、私自身の決算なんですよ。
この作品を聴いて、私の中の東方は確かに一度終わって、そしてまた始まりました。
まだまだ終わらないし、終わらせませんよ、東方は。二次創作は。

そしてもちろん凋叶棕だってまだまだこんなところで留まる気配は見せません。
この次の作品、『綴』は、自らのこれまでの軌跡を綴る、これまた決算のような
作品ですが、その最後のボーカル曲「その扉の向こうに」には
こんなフレーズがあります。

―おとなになる、ということが、どんなにつらいことでも、
わたしはきっとあきらめないから。


『遙』における「私」(天子)と『綴』における「わたし」(アリス)は
どちらも作品を俯瞰する立場にあり、非常に近い立ち位置の存在です。
また、『遙』における「果て」と『綴』における「おとな」も近いニュアンスがある。
私には綴のアリスは天子が転生したようにも感じられたわけですが、しかし
両者が出した結論は少し違っています。「果て」を見てそのまま受け入れた天子と、
「おとな」を夢見て傷つきながらもそれを目指すアリス。
この変化こそが、『遙』に対する凋叶棕の「決断」だと思うんですよね。
『遙』の終わりはあくまでシミュレーション。
『綴』から始まる凋叶棕のこれからには、きっとまた別の「果て」が描かれるでしょう。
まだまだ終わらないし、終わらせませんよ、東方は。二次創作は。
これからです。





ありがとうございました。
これからもよろしくおねがいします。
[ 2012/05/08 21:17 ] 東方アレンジ 凋叶棕 | TB(0) | CM(0)

2012 春M3応援リンク




エミリアちゃん!



マジ!



天使!

[ 2012/04/20 20:21 ] 同人音楽 | TB(0) | CM(0)

[感想] きみとぼくの区分線 / ロジカリズム

きみとぼくの区分線
(2011/10)
ロジカリズム

公式サイト

「ロジカリズム」は皆さまにパズルのピースを探して頂くような、そんなサイトです。
夢かもしれないし、謎かもしれないし、きみかもしれないし、ぼくかもしれません。
(ロジカリズム 「ロジカリズムについて」より)


この作品は弾き語りアルバムです。構成するものはピアノとボーカルしかありません。
音楽の最小単位、と言っても過言ではないほどにシンプルなそれは、
しかしその背景に「ロジカリズム」という、6年の歴史を持つ、ささやかなれど膨大な
個人創作サイトの存在を含んでいます。サイトを見てみれば分かりますが、
ロジカリズムには「ロジキャラ」なるたくさんのキャラクターがいて、
彼らは音楽や、漫画や、ゲームや、小説など様々な媒体のなかで表現されています。
今作「きみとぼくの区分線」はサイト内にあるいくつかの曲を抜粋して
音楽CDとしてまとめられたものです。あくまで本流は「ロジカリズム」であり、
今作はその支流のような位置づけと言えるでしょう。いくつもの「きみとぼく」を
めぐる楽曲は、サイト内にある小説やキャラクター、ないしは他の曲の情報を得て
初めて物語として成立するようになっています。楽曲を聴き込んだあとサイトを
めぐってニヤニヤするのも良し、サイトを一通りみたあと楽曲に触れてフムフムと
頷くのも良し、色々な楽しみ方ができる作品だと思います。

また「きみとぼくの区分線」、このタイトルがとても面白い。
実はロジカリズムにある弾き語り曲は、そのほぼすべてが「きみとぼく」ないしは
「わたしとあなた」のことをうたっており、各曲がどのキャラの物語であるかは
公式に明記されています。つまり各曲の「きみ」や「ぼく」や「わたし」や「あなた」は
それぞれ別人ですよ、とあらかじめ作者による「区分線」が引かれているわけです。
しかし、ロジカリズムのことを何も知らずいきなり今作を聴いた私は、
最初どれかの「きみ」や「ぼく」に同一人物がいるのかな、とか、
作り手や聴き手の関係をうたっているのかな、とかわりと的外れな妄想を
膨らませていたんです。1曲目の「嘘憑きガンスリンガー」と
2曲目の「ココロ侵略robot」は表裏一体になってるのかなーとか、
「きみが生まれた日」→「きみひとり」の曲順にどんな意味があるのかなー、とか。
実際はこれらは別個のキャラの別個の物語なんですけど、
なんとなーく繋がりを見出したくなるような何かがあったんですよね。
ここにある「きみ」や「ぼく」はそんなに明確に区分できるもんなのか?と。
で、サイト内の作品を一通り見て回ってみて、こう感じたことは必ずしも
的外れではないかな、と思い直しました。

たとえば「きみひとり」という曲。
この曲は小説「きみひとり」の主人公である西森蒼太の曲、とは書かれていますが、
ここに描かれている、世界からひとり取り残された「きみ」、それを見つめる「ぼく」の
どちらが西森蒼太なのかは明記されていないし、小説を読む限りではどちらを
蒼太と置いても違和感がないんですよね。さらに、どちらかを蒼太と仮定した場合、
相手方である「きみ」や「ぼく」が誰に当たるか、これも同作の登場人物である宮下緋色や、
村崎みずきなど色々な解釈ができてしまうんです。
「きみひとり」に出てくるキャラクターは、誰も彼も似た者同士なんですよね。
それぞれ別個の設定、姿形を持ちながら、根本はとても似通っている。
「きみ」と「ぼく」の区分線なんてものは、実のところすごく曖昧なものなんじゃないかと、
やはりそう思わずにはいられないんです。

「あおちゃんがいない世界なんて、誰もいないのとおんなじだよ」
(小説「きみひとり」7月7日(--) 59時22分(d)より)

みんなみんな、狂ってる。みんなが世界に、ひとりきり。
それに気づいた瞬間に、街から人は姿を消す。

(小説「きみひとり」7月7日(--) 59時22分(e)より)

「きみひとり」という小説は、ロジカリズムの中心にある作品です。
だからこそ、この「みんなが世界に、ひとりきり」という概念は、ひなた春花という
表現者がつくるものの根底なんじゃないか、という気がしています。
私が最初聴いた時に感じた「なんとなく繋がってそうな感じ」は
そういう根っこのところが引っかかったのかなあ、と今では思ってます。
弾き語り、という形式もまたどこか孤独を感じさせますよね。
ピアノと歌声、きみとぼく。両者は明確に分け隔てられたものではなく、
互いに共鳴し合うことで物語を形作る。ひなた春花さんの歌声は、
かわいらしい声だけどその歌はどこか不安げで寂しげで、聴き手のココロに忍び込み、
そのまわりに張り巡らされた「きみとぼくの区分線」を揺さぶってくるのです。

わたしはあなたのココロ侵略robot
割とミステリなんかも得意だけれど
あなたのココロにはウタが効くようです
だからわたしはウタを歌いましょう

(ココロ侵略robotより)

ロジカリズムというサイトにはミステリー小説があり、4コマ漫画があり、
サウンドノベルがあり、イメージイラストがあり、ボーカロイド楽曲があり、
弾き語り音楽があり、その活動範囲は今でも広がり続けています。
しかし広がれば広がるほど、その中心や根底にあるものは見えにくくなっていくものです。
オンラインで活動を広げ続けるロジカリズムが、今になってローカルでオフラインな
同人CDの製作を始めたのは、そうした根底にあるものの再確認、って狙いが
あるんじゃないかなーと思うんですよね。別個のキャラの別個の物語をひとつずつ拾い上げ、
余分なものを削ぎ落としたものに「きみとぼくの区分線」というタイトルをつけて、
ひとつの完結した作品として再構築する。結果として「ロジカリズムって何だろう?」
という根っこにあるものがはっきり浮き彫りになってる印象があります。
広がり続ける世界だからこそ、CDという形でいったん閉じておく、と。
ベスト盤なんかも近い作り方なのかもしれないけど、やっぱり音楽作品って表現は
おもしろいなーと改めて思い直した作品でした。

夢かもしれず、謎かもしれず、きみかもしれず、ぼくかもしれない。
昨年頒布された「キカイ仕掛けの謎刻」「きみとぼくの区分線」「窓と壁面のアコール」は
冒頭に引用した「ロジカリズムについて」にある4つテーマを扱ったものでした。
CD作品という形で一段落おいたロジカリズムは果たして今後どこを目指すのか。
オンラインの活動のほうにも今後できれば注目していきたいですね。

VOCALOID PARADISE 関西 注目作品

3/25開催のVOCALOID PARADISE 関西に参加予定なのでサークルリストから
試聴総当たりして気に入った作品をピックアップしてみました。
新譜中心、一部旧作もあり。


バクの心臓 / イヤイヤP



これは凄い。ピコピコ音とベースの低音、甲高く調整されたボカロの歌声、
この組み合わせが奇妙な音空間を生み出している。海中、月面、夢の中・・・
引力というか重力というか、ここではないどこかに引き込まれるような感覚。
間違いなく今回の目玉でしょう。



灰色前奏曲 / イントロP



複数のボカロを使っての合唱や掛け合いなどが非常にドラマティック。
曲調の振れ幅は広いものの、どの曲にも懐かしさや温かみがこもっており聴きやすい。
通しで聴いた時どう感じるかが一番読めない作品、これもかなり注目してます。



Pure Rhythm / muhmue



テクノポップとかそっち系。爽やかな雰囲気の曲が多いが低音が本気を出してるせいか
ボカロポップスで感じがちな浮ついた印象がないのがいいなあ。
歌声とメロディとリズムのバランスがいいんだわ。抜群の聴き心地。



あくとわんっ! / パトリチェフ音楽工房



ソウルとかファンクとか聞きなれない単語が並びそのへんのジャンルは良く知らないけど、
陽気で楽しいポップスとして全然いける。リンの歌声のバリエーションが多彩で
聴いててなんかうきうきしてくる。「リンちゃんが好き過ぎて作りました!」と言うだけあるわ。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーい!」



秒速7ミリメートル / 遥風 啓司(風筒P)



UTAUオンリーアルバム。UTAUってテトくらいしか聴いたことなかったけど、
これ凄くないですか?春歌ナナとかまんまななひらさんですやん!かわええ。
UTAUがすごいのかこの人の調声がうまいのかは知らないけどこの作品に限れば
正規のボカロよりも好きかもしれない。曲も自分の好きなタイプのポップスで良い感じ。



The Art Of Real Sounds vol.1 / Headfish Lab.



「生演奏」「水」がキーワードなコンピレーションアルバム。
コンピレーションとは思えないほど落ち着いた雰囲気に統一されていて安心して
聴ける一枚に仕上がってそう。ボカロは電子音のほうが合うイメージだけど
こういうのも案外良さそうだなあ。



Multiple Personality / なるしまたかし



一年くらい前の作品だけどたぶん頒布されてる・・・と思う。
超絶あざといザ・同人ゴシック「Gothic and Loneliness」がやはり目立つけど
そのほかの曲もクセがあってなかなか良さげです。



プラネタリウムをみにいこう / AuroraP


しんみり、しっとりとしたメロディがとっても綺麗なバラード。ルカさんの声も綺麗。
ちょっと民族・和のフレーバーもあり、同人音楽ではclover fieldsあたりに近いかな。
それにしてもいいメロディだ・・・やっぱバラードはメロディですよメロディ!



SS -扉の向こうのその先へ- / ROVINE

新譜の試聴はないけど旧譜のを聴く限りではKAITO・MEIKOを使った民族系の楽曲かな。
この手のものが好きなのは言わずもがなですがSS(短編)というテーマやタイトルからは
コンセプト的なワクワクも感じられるし楽しみな一作です。



systems / window's fan club

「アプリケーションとしてのボーカロイドとシステム用語」というコンセプトは
非常に面白そう。ただ音楽作品というよりは画集メインでプラス音楽、という感じ?
いずれにせよどういう仕上がりになってるか気になる作品。



以上、ぜんぶで10枚ですね。小規模なイベントにしては結構がっつり。
ボカロ系のイベントに行くのは初めてなので知らないサークルばっかりで
いつもより試聴めぐりも楽しかったです。やはり新しいものとどんどん出会いたい。
当日はネットで交流のある会ったことない方と何人か会えそうなので
そういうのも楽しみ。レッツ出会いの春!
[ 2012/03/22 17:50 ] 同人音楽 | TB(0) | CM(0)