同人音楽の感想みたいなレビューみたいなものを書いてます

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花咲く幻想はわが手の中に  凋叶棕 『奉』 感想


(2014/12)
凋叶棕

公式サイト


そういえばいつも考察ばかり書いて感想を書いてなかったなーと思ったので、
今回はちゃんと曲の感想を書きます!
「お前さあ、曲の話全然しないけどほんとにちゃんと聴いてんの?凋叶棕好きなの?」
って思われたくないもんね。当然曲も狂おしいほど好きですよ!!
ラストエフエムの統計取ったら凋叶棕が他アーティストの3倍以上の差をつけて
再生回数ダントツトップだよ!!
『騙』のころなんて、2か月間他のCDを一切聴かなかったくらいですよ。
曲が好きだから、もっと好きになるために考察をするんです。
考察なんてのはね、いつだって作品を楽しむための手段でしかないんだ。
そこは絶対に誤解されたくないところです。

というわけで、以下、1曲ずつ感想です。
あんまり聴きこめてないから、何か新しい発見があったらその都度追記していきます。

***

01-Insert Coin(s)

半分恒例になりつつある冒頭のインストトラックですが、今回一番好きかもしれません。
「始まってしまった物語」と同じくらい好き。
チリーン♪チリーン♪とリズミカルに鳴る投入音がすっげー気持ちよくて、高揚感が湧いてくる。

ピコピコ音の使い方は相変わらず素晴らしい。
「オールドファンタジー」とか「エバー・ワンダラー」では「旧いもの」の表現として使ってたけど、
今回は「ゲーム」の表現として使ってるんですよね。
「あんたまーたピコピコやって!!」というカーチャンの表現だ!

冒頭に配置されているけど、今作のコンセプトを考えるとむしろ最後のほうが相応しいのかも。
実際、曲名書いてるのはブックレットの裏表紙だしね。始まりと終わりは繋がってる。
いつでもここに戻ってくればいいんです。そうして残機を貯めて、また飛び立てばよい。


02-紅魔 「Un-demystified Fantasy」

Un-demystified Fantasy・・・『謡』に収録されている曲のリメイクですが、
この曲は私にとって特別な曲なんです。初めて凋叶棕のことを「すげえ!」って思った曲だから。
「シューティングゲーム東方紅魔郷」をそのまま反映したかのような歌詞と曲調。
そのくせ原曲が「Demystify Feast」という紅魔郷に全然関係ない曲で、
それなのにめちゃくちゃ合ってるんだ。
「この作者は何か他とは違うものを持っている!」と確信させるには十分な曲でした。
だからこの曲がこんな形で蘇ってくれたことが、とてもとても、とても嬉しかった!!
特設サイトが公開されて、トラックリストにこの曲名があったときの感動といったらもうね・・・

リメイクの具合についてもバッチリだと思います。
音の厚み、歌声のパワー、生音化したギター、よりかっこよくなったソロパート。
カリスマ度が大幅にアップしてて全く文句ありません。旧版の線が細いのも好きだけどね。
今回ボーカル曲のオープニングに持ってきたことで、
「それは始まりを告げる鐘の音色」」という冒頭の歌詞がより映えるようになったのも大きい。

ところで、この曲の歌詞でめっちゃ好きな個所があるんです。

何者にとらわれることなく 導かれるように上へ上へと

この「上」って歌詞。これって「原作が縦スクロールシューティングゲームである」って認識がないと、
絶対に出てこない表現なんですよ。縦STGって画面の上へ上へと進んでいくからね。
『謡』の頃から「シューティングゲーム」という意識を強く持っていたことがうかがえる一節です。


03-妖々 「全て桜の下に」

妖々夢6面・・・数多の東方信者を生み出した恐るべきステージです。
私もそうです。最初に遊んだのが妖々夢だったので、6面で東方に心酔したクチですね。
当時はイージーも全然クリアできず、プレイ中は自機の周りしか見えてなかったので
敵がどんな弾打ってきてるのかとか、どんな曲が流れてきてるのかとか注意する余裕が
全然なくて、最初は気づかなかったんです。
気づいたのは、攻略法を考えようと自分のリプレイを見たとき。「!!?」ってなりましたね。
まさか自分のリプレイ見て泣くとは思わなかったよ。涙で画面が見えねえよ。

そんな思い出深い妖々夢6面をイメージしたこの曲ですが、
なんといっても中ボスに出てくる妖夢の心情を拾ってくれてるのが嬉しいですね。
実際のプレイでは伝説の安置n・n・eで安定突破できちゃうのでアレなんですけどね。

曲調としては『屠』の幽々子曲と同じように壮麗・荘厳なアレンジなんですが、
『屠』の曲が原曲のメロディが強いタイプだったのに対し、こちらはオリジナル色強め。
いい感じに差別化できてるんじゃないですかね。


04-永夜 「Imperishable Challengers」

永夜抄といえば、シリーズ中もっともプレイヤーキャラが多いこと!というわけで、
人間側の主要4キャラの心情を描いてくれてるのは良いですね。
4人それぞれ別個の目的をもって永夜の主に挑むデザインがめちゃくちゃかっこいい。
細切れにされた月は、輝夜の須臾の能力の表現でしょうか。

どこかせわしない曲調からは、緊張感と焦燥感がひしひしと伝わってきます。
永夜抄ってなんか敵も味方も「ガチ」なんですよねー。
ストーリー的にも、輝夜サイドはおふざけじゃなくて必死だからね。
おまけに刻符システムってのがあって、慣れないうちはラスボスまでたどり着く前に
夜が明けちゃうこともあって、永夜抄って他シリーズに比べて緊張感あるんですよ。
そういうプレイ感覚を肌で感じられる、非常に優れたアレンジだと思います。


05-花映「タマシイノハナ」

作中唯一のバラードを、整数タイトルでは異端の花映塚にもってくるのは巧い構成です。
「花は幻想のままに」って個人的にすごく好きな曲なんですよねー。
エンディング会話で流れる短い曲だけど、メロディの美しさはZUN曲でも屈指だと思うんだ。

花映塚にはこれといった主人公がいないわけで、どうするのかなーと思ったら
各地に散らばった「花」の視点で描いててこれは凄いなと思いましたね。
考察記事でも書きましたが、今作で「花」はとても大事な象徴です。おお、なんと尊い・・・


06-風神 「ブレイブ・ガール」

東風谷早苗は勇者である。
いや、タイトルしか知らないんですけどね。でも早苗さんって凋叶棕作品ではマジ勇者ポジ。
他の主人公格(霊夢・魔理沙・アリスあたり)はめちゃくちゃ多面的に描かれてるのに、
早苗さんは全然ぶれない。
At least one word→encourager→ブレイブ・ガール→パラレルスカイと
時系列に沿って順調に成長してるもん。曲調もポジティブ一直線だし。
もしかして凋叶棕作品の主人公って早苗なんじゃね?と思うぐらい強いんだよこの子。
もう新譜出るたびにどんどん早苗のことが好きになっていく。やばい。愛しい。

ブレイブ・ガール
負けたとき、本当の自分が始まると、見守る影二つ、いつか笑えますように。


泣いた。


07-地霊 「幻想郷縁起 封ジラレシ妖怪達之頁」

色々とトリッキーな曲。まさか幻想郷縁起のフィルター噛ませてくるとは。
しかも早口歌唱がやたら疾走感あってすんげーカッコイイし。なんだこれは。

阿求さんは地底の妖怪の対処法をありがたくも書いてくれてるわけですが、
基本的に内容は「相手すんな」だし、そもそもお空のこと把握してないし。
なんというか・・・阿求ってお茶目な人だよね。この子も凋叶棕作品で結構好きになりました。

我ら幻を生きるものが 末永くあることを。

これも泣いた。


08-星蓮 「ウルワシのベントラー」

せ、星連船だー!逃げろー!!
いやすいません星連船だけはマジで苦手なんです。他の作品はLunaticノーコンクリアまで
毎回がんばってるんですけど、星はベントラーパターンが上手に組めずに諦めました。
寅丸星と聖白蓮とかいう鬼がよお・・・。残機を食いつぶしてくるんだよお・・・。

とはいえ、1面の雰囲気は大好きなんですよね。
前作が地霊殿でどんよりしてたところに、あの背景と「春の湊に」ですよ。あれは気持ちいいよね。
この曲の冒頭の「イエーイイエーイ」はそのときの感動を想起させてくれてスゲー好きです。
今作聴いて一番再挑戦したくなったのが星蓮船だったりします。もう1回頑張ってみようかなあ。


09-神霊 「死せる哲学の袂」

神霊廟の6面道中曲ってけっこう好きなんですよねー。「ドゥッドゥッドゥドゥ!」って低音が。
扱いにくい原曲だと思うけど、このアレンジは原曲の低音の気持ちよさを生かした曲調になってて
なかなかいい感じ。

で、えーっと・・・歌詞の内容とかは・・・すいません、よくわからない。
実は神霊廟の設定って全然覚えてないんですよね。神霊ってなんだっけ?とかなるレベル。
東方の設定ってあんまり詳しくないんです。ぶっちゃけ凋叶棕作品を楽しむために勉強してる。
書籍とか買い集めたのも最近のことで、それも全部考察のためですからね。
だからまあ・・・今回神霊廟が扱われてしまったのでこれから勉強します!
大事なのは、作品に触発されて「手を動かす」ことなんですから!!


10-輝針 「セイギノミカタ」

し、針妙丸先輩!!!針妙丸先輩じゃないか!!!
いやね、針妙丸のことを「先輩」付けで呼ぶクラスタがあるってのは知ってましたけど、
なんでかなー?と思ってたんですよ。でもこれは納得ですわ。大納得。
先輩かっこよすぎ。曲もかっこよすぎ。完全に主人公組が悪役じゃねーか。

ところで、今作のタイトルは『奉』なんですが、実はこの字、作中歌詞に一度も出てきません。
ただし、『捧』の字はこの曲だけに出てきます。
(2/6 追記「タマシイノハナ」にもあります!見逃し!)
この曲ってね。針妙丸の生き様を描く以上に大きな意味があると思うんですよ。
随所に出てくる、虚飾でも、虚構でも、虚偽でも、紛い物でも構うものかという主張・・・
これって今作の、あるいは凋叶棕の主張そのものなんじゃないか?と思ってしまうのです。

―騙る理想に、捧ぐ覚悟を。

(私が考えている)彼らの掲げる理想なんてのは、所詮は理想なんですよね。
現実に、世界にいかほどの影響を与えているかといえばたいしたことはないでしょう。
広がりつつあるとはいえ、今のところはあくまで内輪でワイワイやってるだけ。

けれど、それでも。
彼らは力強くこう言ってのけるのです。針妙丸先輩の背中を借りて。

―立てよ!


11-「テーマ・オブ・カーテンファイアーシューターズ」 -History 2/3-

弾幕シューティングゲーム。私は東方ではじめて遊んだクチです。
最初はイージーすら全然クリアできなくて、上手な人のリプレイを見て攻略法を探って。
ちょん避けや決めボムといった技術を覚えてゲームパッドを買って。
ノーマル・エクストラ・ハード・ルナティックと少しずつ少しずつクリアしていく。
もう7,8年くらい前になるのかな・・・あの頃は本当に楽しかった。
特に紅魔郷のルナティックがすごく難しくて、パチュリーでどうしても抱え落ちしてしまう。
あいつ喘息なんてぜってえ嘘だわ、などと悪態をつきながらそれでも頑張って。
1年くらいかけてノーコンクリアできたんですよ。
そのときに流れた紅楼がもうめちゃくちゃ綺麗でね。
人生であんな嬉しかった瞬間、他にあったかなあ・・・って思うくらい。

ゲーム音楽において「思い出補正」というのはとても大事なことなんですけど、
この曲はもう、その極致ですよ。ひとりひとり、異なる思い出があると思うんです。
それを想起しながらぜひ聴いてほしい。涙がぼろぼろ出てきますから。
(キーボード叩きながら今泣いてる)


12-「テーマ・オブ・カーテンファイアーシューターズ」 -History 3/3-

描かれなかった3枚目の歴史。
さあ、その紙を手に取って。
あなたのその手で、繋ぎ合わせるんだ。

それが『捧』。
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花咲く幻想はその手の中に  凋叶棕 『奉』 考察


(2014/12)
凋叶棕

公式サイト


屠の考察を放ったらかしたままですが、新譜が出てしまったのでこっちを書きます!
前回の反省を生かし、テーマを絞って一つの記事にまとめました。
あまり穿った見方はせず、素直な気持ちで。

ちなみにショップで買ってきたのは昨日のこと。
一周聴いて衝動に駆られ4か月ぶりにブログにログインしてそのまま書いてます。
同人において大事なのは初期衝動!考えるよりまず手を動かすんだ!


◆ 奉げること、捧げること

今作のタイトルは『奉』です。読みは「ささげ」ですが、この読みをする字はもう一つあって、
それが「捧」という字。どちらかというと後者のほうが常用的であるようです。
にも関わらず、今作では「奉」のほうが採用されている。
なぜ常用的でないほうをタイトルに用いるのでしょうか。
そっちのほうがシンメトリーでデザインが綺麗だから?いやいやそんなことはない。
不自然なことをしている場合、そこには必ず作者の意図があります。今回も然り。

まずブックレットの裏表紙を見てみましょう。「奉」の字の左側に手が書いてありますね。
Insert Coin(s)…今まさにコインを投入し、ゲームに挑戦する意思を示した手。
「奉」の字に「手」が加わり、「捧」の字になっています。

ここで重要なのは、この絵が「裏表紙に書かれている」ということ。
裏表紙にあるということは、今作を最後まで聴いた後に見ることを想定しているわけです。
ならば、「奉」に「手」を加えている人物は誰か、と考えると、
それは今作に触発されて「ゲームやろう!」と思い立った聴取者である、とするのが自然でしょう。
つまり、聴取者の行動が『奉』を『捧』へと変化させているのです。

***

では、『奉』が『捧』になることにどんな意味があるのでしょうか。
2つの字が有する意味はほとんど同じです。けれど、「捧」のほうが少し用法が広い。

まず「奉」という字。「たてまつる」という読みがあるとおり、
この字は神様のような目上のものに対して「献上する」というニュアンスが強い。
今作を「ゲームとしての東方」を対象にした原作への「ささげもの」と考えれば、
なるほどこの字がタイトルでもしっくりくる気もします。
原作という主に対し、二次創作である『奉』はそれに従属しているという考え方ですね。

ならば、「捧」の字はどうでしょう。この字にも「奉」と同じような用法はありますが、
「捧げる」の意味を引いてみると、こんなのも出てきます。

・まごころや愛情を示して相手に尽くす。
・自分の持つすべてを惜しみなくある対象につぎこむ。

どうでしょう。なーんかニュアンスが違ってきてると思いませんか?
「奉」の字にあった主従関係めいたものが無くなっていると思いません?
相手の立場がどうこうではなく、自分が何をするか、という方に主眼が置かれている。
なんというか、こっちのほうが「東方らしい」ですよね。
なにせ、東方projectはあくまでシューティングゲームです。
原作として崇め奉るだけの虚像じゃない。
本来は遊ぶものなんですよ。目標を決めて、クリアを目指して挑戦するものなんです。
その体験の中で、世界観や、キャラクターや、音楽に愛着をもった人たちが
二次創作の世界に飛び込んでいった…と、もとはそういう流れだったはず。
リスペクト、というのも当然大事だけど、それ以上に幻想郷はみんなの遊び場なんです。
東方projectは「奉げる」ものじゃなく、「捧げる」ものなんですよ。

あらためてブックレットの裏表紙をよく見てみましょう。
手に握られたコイン。そのデザインは、CD盤面と同じものです。
聴取者たちに渡されたコイン。それはこの作品そのもの。

『奉』を聴いて。あなたがゲームを遊びたいと思ったならば。
『奉』をコイン(=残機)に変えて、さあ思う存分遊んできなさい!

二次創作によって、コインを握る手が動いて。コントローラーを握る手が動いて。
私たちは原作へと回帰する。それこそが『捧』。凋叶棕からのエールです。



◆ 花咲く幻想はその手の中に

今作のデザインには、裏表紙の手以外にもうひとつ大事な仕掛けがあります。
それは、CD盤面のデザイン。
ここでは「奉」の字の左側に描かれているのは手ではなく、花です。
この花にはいったいどういう意味があるのでしょうか。

まず、花の種類について。
私は花のことには詳しくないけど、たぶんこれは蓮の花で間違ってないと思います。
有名な話ですが、東方世界において蓮の花はとても重要な意味を持っています。
蓮はLotus。幻想郷はLotus Land。ゆえに蓮は幻想の象徴として扱われる。
そして、蓮の花が咲いているのは、「捧」の文字の左側、「手」の部分。

幻想の花は人の手に咲くものだ。

これこそが凋叶棕の幻想観です。
『徒』からこれまで、ぶれずに描き続けてきた幻想のカタチ。
終末の呪いを振り切るための魔法。

***

『辿/誘』以前と、『徒』以後。凋叶棕はそこを境に作風を大きく変えています。
それは何か。『徒』以後の作品は、幻想少女以外の者の視点が導入されているのです。
幻想少女を見つめる「名もなき誰か」の視点。もっとも顕著なのは『望』ですよね。
望み望まれて、幻想郷はここにあり。幻想少女を観測する…望む者の存在があってこそ、
「みんなの遊び場」幻想郷は維持される。

『徒』だってそうです。ロストドリーム・ジェネレーションズ…夢を見失った私たちは、
幻想少女たちに亡くした夢を託して、彼女たちの活躍を望み続ける。
たとえその夢が、儚く虚しい時代の徒花であろうとも。

『屠』も同じ。墓穴から引きずり出される、忘れられた『蓬莱人形』の物語。
それを観測した私たちは、かつて幻想郷を抜け出した名もなき一人の少女の存在を知る。
訓練された観測者たちによる解釈の肥大化。それは少女を屠る幻想の大渦なのだ。

『薦』に至っては、作品そのものが「外部の視点」です。
凋叶棕自身が数多に存在する二次創作の世界を見つめる瞳となり、自作に取り込んでいく。
聴取者たちは、彼らに薦められるがまま、原典の在処を辿るだろう。

時にメタに。時にベタに。『徒』以降の凋叶棕は次々と外部の視点を取り入れていきます。
彼らはどうしてこのような作風に走ったのでしょうか。
私は、『遙』にその原因があると思っています。

『遙』はいわゆる世界の終わりを描いた作品です。
「幻想郷の風景」がテーマと言いつつ、風景以外のすべてが滅びてしまう。
デッドエンド、ループエンド…次々と「終わり」を刻まれる幻想少女たちの物語。
天子が見つめる、すべての物語が消え去った幻想郷の風景は、いつか必ず訪れる終末の姿です。
多くの人に望まれ、繁栄する幻想郷。けれどそれは永遠ではありません。
いつか必ず忘れ去られて、「東方?ああそんなのもあったね。いやー昔ハマったなあ」と
思い出の風景だけが語られるようになる。幻想郷の幻想入り。それは逃れられない未来です。

どうしようもない終末。凋叶棕は『遙』によってあえてこの「終わりの姿」を明示したのです。
何故かって?
それはもちろん、抗うためですよ。
この圧倒的な終わりを少しでも遠ざけるために、抗うために何ができるか。
以後の凋叶棕の作品は、その手段をひたすら模索し続ける、戦いの物語です。

『綴』は、一人の少女が大人になることを恐れずに、新たな世界に足を踏み出す物語。
『騙』は、一人の少女のちっぽけな嘘を認めてあげて、残酷な真実を隠す物語。
『辿/誘』は、一人の少女が、愛する世界を始め続ける物語。

詳しい説明は割愛しますが、これらの物語には『遙』への抵抗の意志が確かに読み取れます。
ここまでは、あくまでも凋叶棕個人による戦いでした。
しかし、彼らの戦いはこれではまだ終わらない。まだまだ不十分なんですよ。
だから、凋叶棕は聴取者である私たちを巻き込みはじめたんです。
それが『徒』以降の作品です。
名もなき誰かの望みによって、幻想が繁栄していくという、幻想観の提示。
作り手と受け手の語り(騙り)合いによって、世界を存続させていこうという、
彼らの強固な意志が、最近の作品からは感じられるのです。

今のところ、その試みは成功していると言えるでしょう。
だって、ねえ?昨年、色々出ましたよね。
凋叶棕作品の二次創作合同誌とか、考察合同誌とか。個人で出してる人も現れてきた。
Twitter等で考察に励む人だってたくさんいる。
これが二次創作同人音楽サークルに対する反応ですよ。確実に何かが変わり始めている。
凋叶棕の作品に、突き動かされる人がこれだけ増えてきて。

彼らのその手が、幻想の花を咲かせるのです。

***

『奉』に突き動かされて、コインを掴む手。
ゲームに挑戦するために、コントローラーを握る手。
幻想少女たちの輝かしい物語を自ら描写するために、ペンタブを持つ手。
美しい旋律を思う存分奏でるために、楽器を弾く手。
衝動のままに長々と考察文を打ち込むために、キーボードを叩く手。
手。手。手。手。手。

幻想はいつだって、人の手から生み出されている。

花咲く幻想は、いつだってあなたのその手の中にある。

さあ、あなたのその手で、『奉』を『捧』に変えてごらんなさい?

セカイを呑み込む幻想郷  凋叶棕 『屠』 考察 Part.2


(2014/08)
凋叶棕

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前回の記事(Part.1)は こちら

さて、考察Part.2です。Part.1は「墓標」と「葬迎」についての考察だったわけですが、
あれを読んだ皆さん、どう思いました?あの内容で納得行きましたか?行かないですよね。
トラックリストひとつとってみてもなんで1曲目の「墓標」がトラック14なのかとか、
2~14曲目がなんでローマ数字で表記されているのかとか、なんも説明されてないし。
それに「葬迎」の考察なんて突っ込みどころ満載です。深層をイドと読んでるだけで
少女の無意識が全ての原因だ!って決め付けてるんだもん。

そんなわけねーだろ。

「墓標」と「葬迎」そして『屠』は、『蓬莱人形』のストーリーをなぞるだけでは
全てを解釈することは絶対にできません。どこかで引っかかって、それ以上切り込めなくなる。
だから、もう一歩深いところまで切り込むためには、切り口を変えてやる必要がある。
そこで、Part.2では『蓬莱人形』って何だろう?という根本的なところから
『屠』の全体的な構造をとらえ、この作品の切り口をじっくり探していくことにします。

『屠』考察、ここからが本番です。


◆蓬莱人形 ~忘れ去られるべき物語~

そもそも、『蓬莱人形』とはどういう作品なのでしょう。
蓬莱人形はコミックマーケット62・・・2002年夏にCD-Rで頒布されたものです。
上海アリス幻樂団がまだ無名だったころなので、頒布枚数は100枚にも満たないそうです。
原版を所有している人はほとんどいないでしょう。
そして次のC63でプレス版が頒布されました。後に同人ショップでの流通も始まり、
プレス版のほうが一般的に出回ることになります。
しかし、C62版とC63版には決定的な違いが有りました。Part.1でも書いたとおり、
ストーリーが大きく異なるのです。共通点を匂わせる部分もありますが、基本的には別物。
それはつまり、C62版のストーリーはC63版のストーリーに上書きされたということ。
極端に言えば、作者の手によって「無かったこと」にされた。黒歴史です。

そう、今回の題材となった『蓬莱人形』は、闇に葬られるべき物語でした。
忘れ去られるべき物語でした。
実際、C62版蓬莱人形というものを今まで知らなかった人も多いのではないでしょうか。
恥ずかしながら私も今回初めて知りました。
そういう意味では、この話は確かに忘れられていたんです。
だから、物語がそれ以上広がることもない。
8人の男女が迷い込み、惨劇があって、名もなき少女がひとり、幻想郷を去る。
物語は間違いなくこれで完結していたんです。続編などは一切書かれることはなく、
少女の正体も、行く末も分からぬまま、これ単体で静かに完結していたんです。
『蓬莱人形』は、完結した。

しかし。
『蓬莱人形』が頒布されたコミックマーケット62。
上海アリス幻樂団は、もうひとつ、別の作品を頒布しました。
それは、『東方紅魔郷』。
Windows版東方Projectの、記念すべき最初の作品。
今をときめく幻想少女たちの、門出の作品。
完結した物語の傍らで、産声をあげた物語。
始 ま っ て し ま っ た 物 語 。


◆トラックⅠ-ⅩⅢ ~ゆりかごから墓場まで~

ここまで書けば、私が何を言いたいかもうお分かりでしょう。
トラックⅠの「始まってしまった物語」、何が「始まってしまった」のか。
それは東方Project、幻想少女たちの物語です。
ここで、ケース裏のトラックリストを見てみましょう。
「墓標」と「葬迎」はアラビア数字、それ以外はローマ数字で書かれています。
さらにトラック14,15の「墓標」と「葬迎」だけが列から外れていますね。
これらはトラック14、15とトラックⅠ~ⅩⅢは全く別個の物語ということを意味します。
かたや『蓬莱人形』の物語。かたや幻想少女たちの物語。両者は哀しいほどに無関係。
誰もいなくなって忘れ去られて完結した『蓬莱人形』だけを取り残して、
幻想少女たちの物語は進行していく。肥大していく。
それがトラックⅠ~ⅩⅢです。
そして、これらは単に幻想少女たちの物語というだけではありません。

トラックⅠの原曲「A Sacred Lot」は『東方霊異伝』のタイトル画面の曲。
これは一番最初の曲。
トラックⅩⅢの原曲「永遠の三日天下」は『弾幕アマノジャク』の最終盤ステージの曲。
これは一番最後の曲。
はじめからおわりまで。アルファからオメガまで。ゆりかごから墓場まで。
そう、これは「すべて」だ。
トラックⅠ~ⅩⅢは、幻想少女たちの物語「すべて」を指しています。
それは原作だけじゃない。無数に存在する二次創作たちも全部全部全部含めて、
幻想郷に生み出された「すべて」の物語が、ここに内包されている。
この場合、楽曲の内容は関係ありません。
『屠』の、構造そのものがそれを物語っているんです。

そして、肥大はこれからも続いていく。
原作がこれからも続くのと同様に、二次創作も続いていく。
もしも原作が終わっても、きっと二次創作は続いていく。
だから、幻想郷の肥大は終わらない。

それから。
肥大化する物語の果て。
「凋叶棕」と名乗る者が、闇に葬られたはずの物語を蘇らせた。
それが14番目の物語「墓標」。
そして、あるはずのない15番目の物語「葬迎」。

幻想郷が、セカイを呑み込み始める。


(Part.3に続く)

セカイを呑み込む幻想郷  凋叶棕 『屠』 考察 Part.1


(2014/08)
凋叶棕

公式サイト


頒布してからわずかに1日、私がメロンブックスで購入したのは今日のことで、
ついさっき1回聴き終えたところですが、いやー『屠』!こいつはすげー作品です。
あまりにびっくりしたので、早速考察を書いてしまいましたよ。
きっとまだ買ってない人、聴いてない人も大勢いるでしょう。だからきっと最速考察です!
しかしだからといって適当な内容ではありませんよ。なんせ頒布前から内容を予想しながら
考察を始めてましたからね。それなりに練れている自信はあります。
とはいえ、いきなり全曲というのはさすがに無理なので、今回は『屠』の中核である
トラック14「墓標」とトラック15「葬迎」の2曲にピントを絞ってやります。
ちなみにこの考察は2,3記事にわたり続く予定なので、今回はほんのさわり程度です。


望み望まれたから、お前はここに還ってきたのだ!


◆墓標 ~完結したはずの物語~

まずはオープニングトラックなのになぜかトラック14となっている「墓標」について。
この曲はほぼそのまま上海アリス幻樂団の音楽CD「蓬莱人形」に付属しているストーリーを
なぞっています。ただし注意すべきは今出回っているC63版(プレス版)の蓬莱人形じゃなくて、
C62版(CD-R版)の蓬莱人形のほうです。両者はストーリーが全然違います。
で、このC62版蓬莱人形ストーリー。ざっくり説明すると、8人の男女(男7、女1)が幻想郷に
迷い込み、疑心暗鬼になったり殺し合ったりして最終的に少女ひとりが生き残って
幻想郷を脱出する、って感じです。細かいところはググるなりして調べてください。

で、「墓標」なんですが、基本的にはさっきも書いたとおり「蓬莱人形」の話を知ってれば
説明することは特に無いです。ただ、ひとつ注意しておきたいのは一人称の使い分け。
「僕」と「ボク」の2種類がありますね。この使い分けは蓬莱人形のストーリー中にも出てきて、
「ボク」と名乗っている者は生き残った少女です。明言されているわけではないけどほぼ確定。
そして「僕」のほうは死んだ7人のうちのひとり。
「墓標」の歌詞に「―せめて君がいさえすれば…」という記述があるので、おそらくは
少女に思いを寄せていた「臆病者」の僕のことを指しています。

ここまでの情報で「墓標」のストーリーはほぼ読解できるはずです。
「僕」を含む7人は全員死んで、「ボク」ひとりが生き残り勝者となった。ざまあみろ。
細かいところを抜きにすればこれだけです。身も蓋も無いですね。
そしてイラストには少女「ボク」と博霊の巫女のシルエット。
これは蓬莱人形ストーリーのラスト、生き残った少女が巫女とすれ違い、
幻想郷の出口へと笑いながら去っていくシーンを描写したものでしょう。
背景が森のようになってますが、こういう感じの背景ってどっかで見たことありますよね。
そう、「Calling」と「絶対的一方通行」にも同じような森の背景が出てきているはず。
つまり、凋叶棕的にはこれが幻想郷の出入口なのではないか、という考察もできますね。

こんな感じで、「墓標」は蓬莱人形の話をほとんどなぞっているだけなので、
知ってさえいればそれほど複雑な話でもないし、考察することも多くありません。
しかし。
『蓬莱人形』と「墓標」には決定的な違いがひとつあります。
『蓬莱人形』は、ここで完結したけれど、
「墓標」には続きがある。

そして誰もいなくなる前に
    これは心の最奥に刻みこむ、墓標


そう、彼女は刻み込んでしまったのだ。一人一人。
自らを呪う、墓標を。


◆葬迎 ~無意識の誘い~

完結したはずの『蓬莱人形』のお話。けれど「墓標」には続きが用意されていて・・・
それがラストトラックの「葬迎」です。
歌詞と絵をざっと見回すと、少女を、7人の亡者が連れ戻すような内容のように思えます。
「永きに渡る日々の果て」と冒頭にあるので、時系列は「墓標」よりもかなり後なんでしょう。
だから、少女はすでに幻想郷から去った後。
一人称は「僕」または「僕ら」なので、一見、亡者達の視点で描かれているように見えます。
しかし、これはちょっと妙な話です。
幻想郷で死んだ彼らが、外へ脱出した少女にどうやって干渉するというのでしょうか。
ジャケットイラストでは亡者7人の腕の前には幻想の住人たる霊夢と魔理沙が
背後に刃物を忍ばせながら満面の笑顔で立ちふさがり、少女への干渉を妨害しています。
だから、亡者達が自らの意思で少女を連れ戻すなんて芸当はできないはずです。
そもそも、彼らは少女もまた虐殺の中で犠牲になったと思っているはず。
少女が幻想郷を去ったことを知るすべは、彼らにはありません。
ならば、「葬迎」に書かれているのは誰の意思なのか。
答えはひとつ。
少女自身から発せられるものに他なりません。

消しきれない記憶の深層の底から 
どこか歪なその人形たちが いつか連れ立って迎えに来るのだ


ここで、深層は「いど」と読まれています。「井戸の底」という意味もあるだろうし、
精神分析用語の「イド」の意味もあるでしょう。イドとは、無意識の衝動や欲求のこと。
そして無意識から迎えに来る人形たち、これこそが7人の亡者達だと考えられます。
つまり、彼らの意思は少女の無意識から発せられている。
なぜこんなことになったのか。
それは、あのとき「墓標」を立ててしまったから。
彼ら一人一人を、心に刻み込んでしまったから。
だから、少女の無意識が望んだのだ。彼らとの同化を。幻想への帰還を。
そうして少女は無意識に望まれるままにふらふらと幻想郷に誘われる。
望み望まれて、ここにあり。

彼らの暮らしていた正直村はもともと8人だけでした。
そのうち7人は死んでしまったので、残った1人の少女を知るものはもういません。
外の世界で忘れ去られた少女。彼女はきっと、「幻想入り」するには十分でした。


(Part.2に続く)

[C82] 凋叶棕のこと

このブログを御覧の物好きの皆様にとっては別に意外でも何でもないでしょうが、
凋叶棕の新譜が非常に楽しみです。昨日書いた少女病と双璧です。
『遙』のことであんなアホみたいに長く意味不明な記事を書いたことからも
分かるとおり私はこのサークルに心酔してるし、何より信頼しています。
だからまあ、新譜も必ずやすごいもん作ってくるだろうと信じてるわけですが、
それにしても、いやはや、彼らは期待を裏切りませんねえ。
『騙』・・・よりによって「嘘」がテーマですってよ。

物語性のある音楽作品で「嘘」が重要なファクターを占める作品というと、
真っ先に思い浮かぶのがサンホラのRomanです。アレはえげつない作品でしたね。
朝と夜の物語で語られる、「嘘を吐いているのは誰?」というイヴェールさんの
ありがたい一言が当時の考察勢を阿鼻叫喚の無間地獄に突き落としました。
嘘が混じるとね、答えが出せないんですよ。前提条件を変えれば無限に物語が
作れてしまうからね。「嘘」というテーマはとにかく物語の自由度を爆発的に高める
効力がある。だからこそ、際限なく拡散を続け風呂敷が畳めなくなる恐れもある。
『Roman』ではこの難しいテーマを、「聴き手にパスワードを入力させる」という
半ば反則技なメタい手法を使って見事に収束させています。
つまりは、「嘘のメッセージ(パスワード)を入力して物語をループさせる」か、
「真実のメッセージを入力して物語を終わらせる」か、その最終決定権を
聴き手に委ねてしまうわけですね。
作品は拡げたままの風呂敷をそのまま提供しているだけ。
あなたが畳みたければ畳めばいい、と。

で、なんでいきなりRomanの話を始めたかというと、どうも現状出ている情報で
無根拠な妄想を広げていくと、『騙』もそれに近い構造を持っているんじゃないかなーと
思えてきたからなんですよ。今回は特設ページも凝っていて、偽のトラックリストが
書かれたページと実際のトラックリストが書かれたページの二種類が用意されています。
で、それぞれのページのジャケ絵にカーソルを合わせるとこんな文章が出てきます。

「はじまりは、嘘をつかれた二人」
「おしまいは、嘘をついた一人と口を噤むもう一人」

これをトラックリストに照らし合わせると、
「はじまり」はトラック1「真実の詩」(原曲は童祭とEndless
「おしまい」はトラック15「嘘のすゝめ」(原曲は少女綺想曲と空飛ぶ巫女の不思議な毎日)

また、両ページに描かれたジャケおよびトラック15の原曲から、
「嘘をつかれた二人」は霊夢と魔理沙
「嘘をついた一人」は霊夢、「口を噤むもう一人」は魔理沙

こんな感じに当てはめられると思うんですよね。
・・・なーんかこれ、怪しくないですか?「Endless」なんて超マニアックな原曲があるし、
露骨なまでにループネタくさいんですよね。仮にループだとすると、15曲目から1曲目に
飛ぶわけで、それはつまり聴き手が「嘘をついた一人(霊夢)」に誑かされて
「真実の詩」に辿り着く・・・2週目は聴き手が「嘘をつかれた二人」のうちの一人に
飲み込まれる構造になってくるんじゃねーかなー、と。さすがに妄想が過ぎますかねえ?

まあそこまで考えるのは行き過ぎてとしても、ジャケに魔理沙が出ているのに
魔理沙関連の原曲が無い、というのは念頭に置いといて損は無いと思います。
何故彼女の曲がないのか?それは彼女が「口を噤むもう一人」だからじゃないか、と。
これくらいならあながち妄想と断じられないでしょう?
私が思うにこの作品の主題は「口を噤んだ魔理沙の主張を探すこと」です。

嘘によせて、嘘を騙る。騙されても気にしないあなたのために!

恐らく素直に聴けば霊夢さんに騙されてループします。たぶん「イイハナシダナー」って感じで。
それはそれでいいのだと思います。「騙されても気にしないあなたのために!」ですからね。
『Roman』に通じると思ったのはこのあたりなんですよね。作中人物の嘘(嘘のすゝめ)に
従って甘美なループに浸り続けるか、口を噤んだ魔理沙の主張を暴いて物語を
終わらせるか。どうもこれも「あなたが畳みたければ畳めばいい」タイプの作品の
ような気がしてならないのです。そして言うまでもなく考察厨の私はこうした作品が
大好物です。もちろんここに書いたことは断片的な情報から組み立てた無根拠な妄想
(あるいは願望)に過ぎず、実際はぜーんぜん違う作品なのかもしれません。
つーかその可能性のほうがたぶん高いよね。でもまあ別にそれでも構わんのです。
だってねえ、事前情報だけでここまで妄想させてくれるんだぜ?
はっきり言って買う前のこの時点で既に値段分楽しんだと言っていい。
このあと本編が控えているなんて、彼らは私をどれだけ楽しませてくれるというのか。
きっと他の考察勢も今頃舌なめずりをして妄想を膨らませていることでしょう。

『Roman』は私が今まで触れた創作物の中でも三本の指に入る作品でした。
同じく「嘘」が重要なテーマとなる今作、果たしてどれほどの作品に仕上がっているか、
今から本当に本当に楽しみでなりません。また『遙』みたいな考察記事を書けたらいいね!
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Author:borozo

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