同人音楽の感想みたいなレビューみたいなものを書いてます

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[考察・感想] Will the living corpse have dream of tomorrow? / 回路-kairo-

Will the living corpse have dream of tomorrow?
(2011/08)
回路-kairo-

公式サイト


回路作品には東方二次創作としての物語だけでなく回路自身の物語も組み込まれている
ことには、前作で何となく分かってたんだけど、それでも今作を初めて聴いた時には
戸惑いを感じました。作り自体はいつも通り1曲1キャラ形式になってるけど、
なんかキャラについて書かれてる感じがまるでしない。姿形と設定こそ
踏襲されているが、人格面をすっかり回路が乗っ取ってしまっている。
東方の二次創作が見たくてアレンジ聴いてる身としては、今作の扱いをどうしたもんかは
かなり迷うところだったけど、もう今回は割り切って考えちゃうことにします。
これは回路の物語である、と。

今回の物語の主たる内容は、蓬莱人と人間の比較です。
言いかえれば、無限と有限、永遠と一瞬の比較です。
そして比較の結果物語が肯定するものは人間であり、有限であり、瞬間であり、
生であり、動である。彼女らは一様に、永遠の静寂よりも一瞬の脈動を掴み取る。
この二者択一は前作のテーマ・・・「完全と不完全の境界」と非常に似通っています。
不完全の亡霊姫は完全を放棄し、永遠の蓬莱人は一瞬を重んじた。
ここまでは前作のおさらいです。今作の本当のテーマはこの先にある。

今回のテーマを考える際、キーとなるのは作品の構造そのもの。
前作にあった「境界線ブックレット」のような仕掛けは今作にも存在しています。
ブックレットの絵を繋げると円環になるアレですね。加えて最後の曲は最初の曲に
繋がっています。ループ。円環。永遠。この構造の中で、一瞬を選び取る物語は、
円環を描くことで永遠へと昇華されていく。この作品は永久機関。
一瞬の思い出を、刹那の記憶を永遠に繋ぎとめておくための装置なのです。

そしてここに回路の物語がある。彼らはバンドです。どれだけ良い音楽を作ろうと
現状は大学生のアマチュアバンド。社会に出てこの先ずっと活動できるかなんて
きっと本人たちにも分からないし、大体バンドなんて音楽性の違いだか何だかで
あっさりと瓦解してしまう。刹那的で儚い集まり。そしてこの作品です。
これはきっと、理解し合えるメンバーに、楽しんでもらえるリスナーたちに一瞬でも
出会えたことを祝福し、それを永遠に繋ぎとめておくための作品なんじゃないでしょうか。
例え彼らがいなくなっても記憶は残ります。思い出は残ります。作品は残ります。

・・・こういう考察は、きっと邪推になってしまうからあまりやりたくなかったけれど。
「三千世界」のラストの合唱。あれを聴かされてしまっては、私はこう考えることしか
できませんでした。サウンドはいつもよりシンプルでした。ボーカルはいつもより
優しげでした。まるで心臓の鼓動のように、終始4拍子で進行していました。
「今までで一番回路らしい作品になった」うろ覚えだけど、頒布前に作者が
こういうことを漏らしていたのを思い出します。
作品と作者を安易に結びつけてはいけない。作品鑑賞の鉄則です。
それを自覚した上で、それでもあえて言います。
やっぱり、これは回路の物語である、と。


◆番外編
正直なところ、今作の扱いにはこれを書き終えた今でも迷っています。
どうにも、前作ほどこの作品を素直に賞賛する気になれない。
モヤモヤしているのは多分、「東方キャラを感じない」ことだ。
同人音楽.bookのインタビュー記事を読むに、回路はたぶん東方にそれほど
愛着を持っているわけではなく、悪い言い方をすれば表現手段として東方を
「利用している」タイプでしょう。もちろん、東方の曲が好きでやってるのは
分かるし、作品を生み出す上でそんじょそこらのファンよりもずっと研究している。
私は「二次創作には愛が必要だろ!」とか時代錯誤なことを言う気はないし、
作者が何をどういう目的で作ろうと自由にやればいいと思っています。
皆が自由に動いたからこそ東方はここまで大きくなったし、多様な作品が生み出せた。
だからこれは、作者の問題でも作品の問題でもなく、私の問題だ。
私の納得の問題だ。ただ単に"私の思う東方キャラ"を感じないというだけだ。

Will the living corpse have dream of tomorrow?
the living corpse、生ける屍とは一体誰のことだろう。物語的には
輝夜、永琳、ないしは妹紅のことを指すのだろうけど、こういうことを
考えていると、この言葉が「東方二次創作そのもの」を指しているように思えてくる。
原作とは異なる作者によって好き放題に動かされる東方の世界。キャラクター。
二次創作の世界に顕現した東方は、東方であって東方ではない。
まさに「生ける屍」だ。カタツムリに寄生し行動を操るレウコクロリディウムを思い出す。
生ける屍=東方二次創作説。いやあ、我ながら無茶苦茶な解釈ですね。
でもまあ、全くの的外れってことはないかもしれない。
回路が描く東方と、私が描く東方。どっちも仲良く生ける屍だ。
それに私がこんな解釈をした時点でこの作品自体も生ける屍だ。
死なば諸共。なかなか愉快な落とし所ではありませんか。

もちろん、これをもって作品考察なんて言うつもりはありません。これは番外編。
あくまでこの解釈は、"私の思う東方キャラ"を感じないという、自分の感想の中から
二次的に発生したものです。しかしこんな解釈をしていると、
Will the living corpse have dream of tomorrow?
この問いが、まるで自分に向けて発せられているように思えてくるのですよ。
あなたはこの物語に納得するのか?しないのか?
回路から、こんな刃を突き付けられているように感じられます。
そして私はここからさらに問いを重ねましょう。

Will the living corpse have dream of tomorrow?
ここまで読んでくれたあなたはこの文章に納得しますか?しませんか?

さてさてこれは、誰の物語でしょう?
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