同人音楽の感想みたいなレビューみたいなものを書いてます

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[J&B] Vanitas vanitatumのこと

きょうの感想はJ&BのVanitas vanitatum!
ショップで見つけて試聴もせずジャケとキャッチコピーだけで衝動買いしたものだけど、
こいつはアタリを引きましたね。アレンジ面、コンセプト面ともに相当練りこまれてます。
今作を語るにはまだまだ聴き込みが足りてない気もするし、雑感というかたちで
少しばかり・・・と思ってたけど、結局ガッツリ書いてしまいました。てへ。


まず最初に断っておくと、今作のコンセプト自体はわりとよくあるタイプのもので、
内容自体はさして新鮮味というか驚きというか、そういうものはなかったです。
永遠を生きる者が抱える悲哀とか空虚とか、そんな感じのやつね。どこにでもある話。
ただ、とにかく見せ方が抜群に上手い。
具体的には3曲目の「すぺしゃる☆でりしゃす♪えぶりでい♡」、これの存在です。
タイトルからしてゆんゆんしてる電波系アレンジ、この使い方がほんと素晴らしい。
曲調としては完全に浮いているのに、コンセプトとしては完全に溶け込んでいる。
これがないと7割くらいは魅力がなくなるといっても過言ではありません。

この曲は当然、普通に聴くと2曲目の「thanatophobia」の次に聴くことになるわけで、
「thanatophobia」のラストにある「生きる悦び その時になれば 私にも分かるかしら」
というフレーズと綺麗に呼応するように作られています。ハイテンションなアレンジや
小芝居は「生きる悦びとは?」という問いに対してのこの上なくストレートな解答に
なっていて、ここの流れだけでもアルバムの導入として非常に気持ちいい。
しかし、この曲の真価は実は2回目以降に聴いたとき・・・つまり一度作品を最後まで
聴いて全貌を把握した上でもう一度聴いたときに表れます。
この曲は、果たして誰の視点で描かれているのでしょう?


最初に書いたとおり、この作品の主人公にあたるのはジャケの輝夜をはじめとする
不死者たちであり、アルバム後半の楽曲では彼女らなりの「thanatophobia(死恐怖症)」
に対する答えが示されています。死なない(死ねない)者達が恐れる死とは何か、
彼女らは何に「生きる悦び」を感じればいいのか、その答えはそれぞれの曲で
彼女らが捧げる願いの中に込められています。それは「すぺしゃる~」で
先に示された単純明快な解答とはうって変わって、とても鬱屈かつ迂遠なもの。

 止まらない時間の中に 全ての喜びあるんだね 
 あわよくば願いかけます それだけは永遠に
  「みんなでお月見Night」より

 戻らぬ 追憶の破片 私を過去に縛り付け 届かぬ聲ならば
 狂う前に 私を殺して
   「永夜の聲」より

 消えないでいてよ線香花火 未来照らす 少し見えた永遠よ どうか
 二人の時間止めてください
   「星座になったら」より

この3曲は、いずれも異なる境遇の中で、異なる人物が願ったことだと考えています。
同一人物でも別にいいけど、いずれにしてもこれらの願いには共通点がある。
孤独への恐怖と、それが永遠に続くことへの恐怖です。
thanatophobia、死ねない彼女らが何より恐れる「死」とはきっとこのこと。
永遠に続く拷問です。そしてそれはおそらくいくら願っても決して逃れられない。
狂う前に私を殺して?彼女を殺すことは誰にもできない。死なないんだから。
それでも一縷の望みをかけて、救済の時を願わずにはいられない・・・というのが、
不死者たちにとっての「生きる悦び」なのかもしれません。

さて、そんな感じで、この物語は特に救済もなく、願いをかけた不死者たちの
顛末は語られぬまま幕を閉じます。アウトロには「Kosmos-reprise-」というインスト。
repriseとは、主題の反復という意味ですが、そういえばこの作品には
Kosmos・・・宇宙や星空がよく出てきます。永夜キャラを中心に置いているから
そういうモチーフを使っているのかもしれませんが、物語の全貌を見終えた今、
宇宙というものが今作にとってどういう意味を持つものだったのか、
ここで改めて考え直してみましょう。リプライスリプライス。
キーとなるのは、クライマックスを飾る曲「MUSES,S」の、この一節です。

 いつかはロケットが あなたを連れ去っていく
 オールトの雲の向こうまで 消えていって 笑顔も見れない

 ひとつ願うのは 私もいつの日か あなたの元へ辿り着きたい
 宇宙を旅したあの子のように


ここにも前の3曲に見たような「願い」が出てきますね。
この曲はおそらく、私=レミリア、あなた=咲夜で描かれていて、
ヒトと吸血鬼の寿命の違いから、いつか必ず訪れる死別に想いを馳せている場面と
考えられます。つまりここでは、ロケットが飛び去った先、宇宙を「死」に見立てている。
ここでの死は物理的な死のことで、「永夜の聲」にもあるように、それは不死者たちに
とってこの上ない救済であるということは言うまでもありません。
ではロケットはどうでしょうか?宇宙(=死)へと連れ去っていく乗り物・・・というと、
これは「時間」の見立てである、というのが自然ではないかなと思います。
そして死の訪れぬ者に時間が流れることはない。
彼女たちは、自身は決してロケットに乗り込むことができず、
飛び去る者たちをただただ眺めていることしかできません。願いは叶わないのです。
それはこの曲に限ったことではなく、他の曲にも言えること。

しかし、作中にてただ1つだけ、ロケットに乗ったことが明記されている箇所があります。

 くるくるくるりん 宇宙船で 本日はさいこー!
 いつでもいつも にっこりと笑顔
 だいじなたからもの 楽しい時間終わるなんて そんなの許さないよ!


そう、「すぺしゃる☆でりしゃす♪えぶりでい♡」ですよ。
この曲のラストでは、三月精が宇宙船を発見して宇宙に飛び立つシーンが小芝居と
歌でとても楽しく語られます。先にも言ったとおり、その生き様は「生きる悦び」の
もっともストレートな解答のカタチ、模範解答と言ってもいいでしょう。
しかし、不死者たちの願いに触れたあとになってこの曲を聴くと、その残酷さが
嫌でも分かるようになっているはずです。この曲は2周目以降に聴いてはじめて、
「ロケットに乗れる者」の背後に隠れた「ロケットを眺めることしかできない者」の
視点に気づくことができるようになっているのです。
生の悦びも、死の救済も、刹那の輝きも、永遠の拷問も。様々な感情と儚い願いが
この「すぺしゃる☆でりしゃす♪えぶりでい♡」には渦巻いている。
表向きはステレオタイプな電波ソングでありながら、これほどまでに多彩な要素が
背後に潜んでいる楽曲というのはなかなかお目にかかれないでしょう。
Vanitas vanitatum・・・永遠が抱く「空虚」というテーマは、それ自体は
使い古されたものだけど、この演出にはとにかく意表を突かれました。
これは感情移入しちゃうわ。実際、2回目以降にこれを聴いたときは、
楽しいような寂しいような・・・何とも言えない感傷がこみあげてくるんですよね。
どうしてこんな曲で私は涙ぐんでしまうんでしょうね。
音楽とは不思議なものです。

とまあ、そんな感じで。
願わくば、彼女たちの儚い願いがほんの少しでも報われたらなあ、と。
そう思って、ちょっと長めの感想文を書いてみました。
なあに、これもまた同じことです。
眺めることしかできない者の、叶うはずもないささやかな願いですよ。
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