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セカイを呑み込む幻想郷  凋叶棕 『屠』 考察 Part.1


(2014/08)
凋叶棕

公式サイト


頒布してからわずかに1日、私がメロンブックスで購入したのは今日のことで、
ついさっき1回聴き終えたところですが、いやー『屠』!こいつはすげー作品です。
あまりにびっくりしたので、早速考察を書いてしまいましたよ。
きっとまだ買ってない人、聴いてない人も大勢いるでしょう。だからきっと最速考察です!
しかしだからといって適当な内容ではありませんよ。なんせ頒布前から内容を予想しながら
考察を始めてましたからね。それなりに練れている自信はあります。
とはいえ、いきなり全曲というのはさすがに無理なので、今回は『屠』の中核である
トラック14「墓標」とトラック15「葬迎」の2曲にピントを絞ってやります。
ちなみにこの考察は2,3記事にわたり続く予定なので、今回はほんのさわり程度です。


望み望まれたから、お前はここに還ってきたのだ!


◆墓標 ~完結したはずの物語~

まずはオープニングトラックなのになぜかトラック14となっている「墓標」について。
この曲はほぼそのまま上海アリス幻樂団の音楽CD「蓬莱人形」に付属しているストーリーを
なぞっています。ただし注意すべきは今出回っているC63版(プレス版)の蓬莱人形じゃなくて、
C62版(CD-R版)の蓬莱人形のほうです。両者はストーリーが全然違います。
で、このC62版蓬莱人形ストーリー。ざっくり説明すると、8人の男女(男7、女1)が幻想郷に
迷い込み、疑心暗鬼になったり殺し合ったりして最終的に少女ひとりが生き残って
幻想郷を脱出する、って感じです。細かいところはググるなりして調べてください。

で、「墓標」なんですが、基本的にはさっきも書いたとおり「蓬莱人形」の話を知ってれば
説明することは特に無いです。ただ、ひとつ注意しておきたいのは一人称の使い分け。
「僕」と「ボク」の2種類がありますね。この使い分けは蓬莱人形のストーリー中にも出てきて、
「ボク」と名乗っている者は生き残った少女です。明言されているわけではないけどほぼ確定。
そして「僕」のほうは死んだ7人のうちのひとり。
「墓標」の歌詞に「―せめて君がいさえすれば…」という記述があるので、おそらくは
少女に思いを寄せていた「臆病者」の僕のことを指しています。

ここまでの情報で「墓標」のストーリーはほぼ読解できるはずです。
「僕」を含む7人は全員死んで、「ボク」ひとりが生き残り勝者となった。ざまあみろ。
細かいところを抜きにすればこれだけです。身も蓋も無いですね。
そしてイラストには少女「ボク」と博霊の巫女のシルエット。
これは蓬莱人形ストーリーのラスト、生き残った少女が巫女とすれ違い、
幻想郷の出口へと笑いながら去っていくシーンを描写したものでしょう。
背景が森のようになってますが、こういう感じの背景ってどっかで見たことありますよね。
そう、「Calling」と「絶対的一方通行」にも同じような森の背景が出てきているはず。
つまり、凋叶棕的にはこれが幻想郷の出入口なのではないか、という考察もできますね。

こんな感じで、「墓標」は蓬莱人形の話をほとんどなぞっているだけなので、
知ってさえいればそれほど複雑な話でもないし、考察することも多くありません。
しかし。
『蓬莱人形』と「墓標」には決定的な違いがひとつあります。
『蓬莱人形』は、ここで完結したけれど、
「墓標」には続きがある。

そして誰もいなくなる前に
    これは心の最奥に刻みこむ、墓標


そう、彼女は刻み込んでしまったのだ。一人一人。
自らを呪う、墓標を。


◆葬迎 ~無意識の誘い~

完結したはずの『蓬莱人形』のお話。けれど「墓標」には続きが用意されていて・・・
それがラストトラックの「葬迎」です。
歌詞と絵をざっと見回すと、少女を、7人の亡者が連れ戻すような内容のように思えます。
「永きに渡る日々の果て」と冒頭にあるので、時系列は「墓標」よりもかなり後なんでしょう。
だから、少女はすでに幻想郷から去った後。
一人称は「僕」または「僕ら」なので、一見、亡者達の視点で描かれているように見えます。
しかし、これはちょっと妙な話です。
幻想郷で死んだ彼らが、外へ脱出した少女にどうやって干渉するというのでしょうか。
ジャケットイラストでは亡者7人の腕の前には幻想の住人たる霊夢と魔理沙が
背後に刃物を忍ばせながら満面の笑顔で立ちふさがり、少女への干渉を妨害しています。
だから、亡者達が自らの意思で少女を連れ戻すなんて芸当はできないはずです。
そもそも、彼らは少女もまた虐殺の中で犠牲になったと思っているはず。
少女が幻想郷を去ったことを知るすべは、彼らにはありません。
ならば、「葬迎」に書かれているのは誰の意思なのか。
答えはひとつ。
少女自身から発せられるものに他なりません。

消しきれない記憶の深層の底から 
どこか歪なその人形たちが いつか連れ立って迎えに来るのだ


ここで、深層は「いど」と読まれています。「井戸の底」という意味もあるだろうし、
精神分析用語の「イド」の意味もあるでしょう。イドとは、無意識の衝動や欲求のこと。
そして無意識から迎えに来る人形たち、これこそが7人の亡者達だと考えられます。
つまり、彼らの意思は少女の無意識から発せられている。
なぜこんなことになったのか。
それは、あのとき「墓標」を立ててしまったから。
彼ら一人一人を、心に刻み込んでしまったから。
だから、少女の無意識が望んだのだ。彼らとの同化を。幻想への帰還を。
そうして少女は無意識に望まれるままにふらふらと幻想郷に誘われる。
望み望まれて、ここにあり。

彼らの暮らしていた正直村はもともと8人だけでした。
そのうち7人は死んでしまったので、残った1人の少女を知るものはもういません。
外の世界で忘れ去られた少女。彼女はきっと、「幻想入り」するには十分でした。


(Part.2に続く)
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2014/10/13(月) 12:33 | | #[ 編集]
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