同人音楽の感想みたいなレビューみたいなものを書いてます

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花咲く幻想はその手の中に  凋叶棕 『奉』 考察


(2014/12)
凋叶棕

公式サイト


屠の考察を放ったらかしたままですが、新譜が出てしまったのでこっちを書きます!
前回の反省を生かし、テーマを絞って一つの記事にまとめました。
あまり穿った見方はせず、素直な気持ちで。

ちなみにショップで買ってきたのは昨日のこと。
一周聴いて衝動に駆られ4か月ぶりにブログにログインしてそのまま書いてます。
同人において大事なのは初期衝動!考えるよりまず手を動かすんだ!


◆ 奉げること、捧げること

今作のタイトルは『奉』です。読みは「ささげ」ですが、この読みをする字はもう一つあって、
それが「捧」という字。どちらかというと後者のほうが常用的であるようです。
にも関わらず、今作では「奉」のほうが採用されている。
なぜ常用的でないほうをタイトルに用いるのでしょうか。
そっちのほうがシンメトリーでデザインが綺麗だから?いやいやそんなことはない。
不自然なことをしている場合、そこには必ず作者の意図があります。今回も然り。

まずブックレットの裏表紙を見てみましょう。「奉」の字の左側に手が書いてありますね。
Insert Coin(s)…今まさにコインを投入し、ゲームに挑戦する意思を示した手。
「奉」の字に「手」が加わり、「捧」の字になっています。

ここで重要なのは、この絵が「裏表紙に書かれている」ということ。
裏表紙にあるということは、今作を最後まで聴いた後に見ることを想定しているわけです。
ならば、「奉」に「手」を加えている人物は誰か、と考えると、
それは今作に触発されて「ゲームやろう!」と思い立った聴取者である、とするのが自然でしょう。
つまり、聴取者の行動が『奉』を『捧』へと変化させているのです。

***

では、『奉』が『捧』になることにどんな意味があるのでしょうか。
2つの字が有する意味はほとんど同じです。けれど、「捧」のほうが少し用法が広い。

まず「奉」という字。「たてまつる」という読みがあるとおり、
この字は神様のような目上のものに対して「献上する」というニュアンスが強い。
今作を「ゲームとしての東方」を対象にした原作への「ささげもの」と考えれば、
なるほどこの字がタイトルでもしっくりくる気もします。
原作という主に対し、二次創作である『奉』はそれに従属しているという考え方ですね。

ならば、「捧」の字はどうでしょう。この字にも「奉」と同じような用法はありますが、
「捧げる」の意味を引いてみると、こんなのも出てきます。

・まごころや愛情を示して相手に尽くす。
・自分の持つすべてを惜しみなくある対象につぎこむ。

どうでしょう。なーんかニュアンスが違ってきてると思いませんか?
「奉」の字にあった主従関係めいたものが無くなっていると思いません?
相手の立場がどうこうではなく、自分が何をするか、という方に主眼が置かれている。
なんというか、こっちのほうが「東方らしい」ですよね。
なにせ、東方projectはあくまでシューティングゲームです。
原作として崇め奉るだけの虚像じゃない。
本来は遊ぶものなんですよ。目標を決めて、クリアを目指して挑戦するものなんです。
その体験の中で、世界観や、キャラクターや、音楽に愛着をもった人たちが
二次創作の世界に飛び込んでいった…と、もとはそういう流れだったはず。
リスペクト、というのも当然大事だけど、それ以上に幻想郷はみんなの遊び場なんです。
東方projectは「奉げる」ものじゃなく、「捧げる」ものなんですよ。

あらためてブックレットの裏表紙をよく見てみましょう。
手に握られたコイン。そのデザインは、CD盤面と同じものです。
聴取者たちに渡されたコイン。それはこの作品そのもの。

『奉』を聴いて。あなたがゲームを遊びたいと思ったならば。
『奉』をコイン(=残機)に変えて、さあ思う存分遊んできなさい!

二次創作によって、コインを握る手が動いて。コントローラーを握る手が動いて。
私たちは原作へと回帰する。それこそが『捧』。凋叶棕からのエールです。



◆ 花咲く幻想はその手の中に

今作のデザインには、裏表紙の手以外にもうひとつ大事な仕掛けがあります。
それは、CD盤面のデザイン。
ここでは「奉」の字の左側に描かれているのは手ではなく、花です。
この花にはいったいどういう意味があるのでしょうか。

まず、花の種類について。
私は花のことには詳しくないけど、たぶんこれは蓮の花で間違ってないと思います。
有名な話ですが、東方世界において蓮の花はとても重要な意味を持っています。
蓮はLotus。幻想郷はLotus Land。ゆえに蓮は幻想の象徴として扱われる。
そして、蓮の花が咲いているのは、「捧」の文字の左側、「手」の部分。

幻想の花は人の手に咲くものだ。

これこそが凋叶棕の幻想観です。
『徒』からこれまで、ぶれずに描き続けてきた幻想のカタチ。
終末の呪いを振り切るための魔法。

***

『辿/誘』以前と、『徒』以後。凋叶棕はそこを境に作風を大きく変えています。
それは何か。『徒』以後の作品は、幻想少女以外の者の視点が導入されているのです。
幻想少女を見つめる「名もなき誰か」の視点。もっとも顕著なのは『望』ですよね。
望み望まれて、幻想郷はここにあり。幻想少女を観測する…望む者の存在があってこそ、
「みんなの遊び場」幻想郷は維持される。

『徒』だってそうです。ロストドリーム・ジェネレーションズ…夢を見失った私たちは、
幻想少女たちに亡くした夢を託して、彼女たちの活躍を望み続ける。
たとえその夢が、儚く虚しい時代の徒花であろうとも。

『屠』も同じ。墓穴から引きずり出される、忘れられた『蓬莱人形』の物語。
それを観測した私たちは、かつて幻想郷を抜け出した名もなき一人の少女の存在を知る。
訓練された観測者たちによる解釈の肥大化。それは少女を屠る幻想の大渦なのだ。

『薦』に至っては、作品そのものが「外部の視点」です。
凋叶棕自身が数多に存在する二次創作の世界を見つめる瞳となり、自作に取り込んでいく。
聴取者たちは、彼らに薦められるがまま、原典の在処を辿るだろう。

時にメタに。時にベタに。『徒』以降の凋叶棕は次々と外部の視点を取り入れていきます。
彼らはどうしてこのような作風に走ったのでしょうか。
私は、『遙』にその原因があると思っています。

『遙』はいわゆる世界の終わりを描いた作品です。
「幻想郷の風景」がテーマと言いつつ、風景以外のすべてが滅びてしまう。
デッドエンド、ループエンド…次々と「終わり」を刻まれる幻想少女たちの物語。
天子が見つめる、すべての物語が消え去った幻想郷の風景は、いつか必ず訪れる終末の姿です。
多くの人に望まれ、繁栄する幻想郷。けれどそれは永遠ではありません。
いつか必ず忘れ去られて、「東方?ああそんなのもあったね。いやー昔ハマったなあ」と
思い出の風景だけが語られるようになる。幻想郷の幻想入り。それは逃れられない未来です。

どうしようもない終末。凋叶棕は『遙』によってあえてこの「終わりの姿」を明示したのです。
何故かって?
それはもちろん、抗うためですよ。
この圧倒的な終わりを少しでも遠ざけるために、抗うために何ができるか。
以後の凋叶棕の作品は、その手段をひたすら模索し続ける、戦いの物語です。

『綴』は、一人の少女が大人になることを恐れずに、新たな世界に足を踏み出す物語。
『騙』は、一人の少女のちっぽけな嘘を認めてあげて、残酷な真実を隠す物語。
『辿/誘』は、一人の少女が、愛する世界を始め続ける物語。

詳しい説明は割愛しますが、これらの物語には『遙』への抵抗の意志が確かに読み取れます。
ここまでは、あくまでも凋叶棕個人による戦いでした。
しかし、彼らの戦いはこれではまだ終わらない。まだまだ不十分なんですよ。
だから、凋叶棕は聴取者である私たちを巻き込みはじめたんです。
それが『徒』以降の作品です。
名もなき誰かの望みによって、幻想が繁栄していくという、幻想観の提示。
作り手と受け手の語り(騙り)合いによって、世界を存続させていこうという、
彼らの強固な意志が、最近の作品からは感じられるのです。

今のところ、その試みは成功していると言えるでしょう。
だって、ねえ?昨年、色々出ましたよね。
凋叶棕作品の二次創作合同誌とか、考察合同誌とか。個人で出してる人も現れてきた。
Twitter等で考察に励む人だってたくさんいる。
これが二次創作同人音楽サークルに対する反応ですよ。確実に何かが変わり始めている。
凋叶棕の作品に、突き動かされる人がこれだけ増えてきて。

彼らのその手が、幻想の花を咲かせるのです。

***

『奉』に突き動かされて、コインを掴む手。
ゲームに挑戦するために、コントローラーを握る手。
幻想少女たちの輝かしい物語を自ら描写するために、ペンタブを持つ手。
美しい旋律を思う存分奏でるために、楽器を弾く手。
衝動のままに長々と考察文を打ち込むために、キーボードを叩く手。
手。手。手。手。手。

幻想はいつだって、人の手から生み出されている。

花咲く幻想は、いつだってあなたのその手の中にある。

さあ、あなたのその手で、『奉』を『捧』に変えてごらんなさい?
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